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タイ犯罪事情 癖(へき)と犯罪 (3)タイの空き巣は電線伝いに屋根から

2015年7月15日(水) 00時08分(タイ時間)
戸島国男 氏の画像
戸島国男 氏
戸島 国雄 氏(警視庁元鑑識捜査官・元似顔絵捜査官・タイ警察現役警察大佐)

―ドライバー1本で簡単に割れてしまう窓ガラス―

 空き巣は、空き巣だけを繰り返す者による犯罪。通りがかりに思いついて飛び込むことはなく、時間をかけて品定めした特定の住居をしっかり狙う。犯人はやはり、軒先の洗濯物などで家族構成を想像し、入るか入らないかを決める。

 敷地が塀でしっかり囲まれていたり、植木が多かったりする住居は、空き巣に入られやすい。一度侵入すれば犯人の姿が外から見えなくなるからだ。開けっぴろげの造りの方が意外と防犯になっている。犯人は敷地に入ったら、必ず裏に回る。電気メーターを確認し、グルグルと速く回っていれば住人が在宅中と判断する。

 サッシ窓をこじ開けるのはいたって簡単。カギの辺りのガラスの隙間にマイナスドライバーを差し込み、ちょっとひねると丸くきれいにヒビが入る。割れたガラスを外して手を入れ、カギを開けるだけだ。火を当ててガラスを割る「焼き切り」という手口もあり、100円ライター1個で事足りる。雑巾などを当てて叩いて割る「打ち破り」もある。

 1人の犯人は1つの手口しか使わない。その手口が犯人の癖とみなされる。過去の犯罪記録を追うだけで、容疑者を特定できることが多い。

 現場検証すれば、犯人の慣れ不慣れもすぐに分かる。慣れている者であれば、侵入してまずは屋内のドアを全て開ける。物色中に住人が帰ってきたとしても、鉢合わせにならないよう逃走口を確保する。住人と揉み合いになって相手にケガでもさせると、窃盗から強盗に変わって罪が重くなる。

 タンスの引き出しは下から開ける。上から下だといちいち閉めなければならないからだ。さらに上手になると、全てを元どおりにして引き上げる。住人が何を盗まれたかすぐには分からないよう時間稼ぎをし、捜査を遅らせるためだ。慣れた者なら住居に入るなり、どこに金目のものがしまってあるか分かるという。また、家の酒を飲み散らかして帰っていく犯人もいるが、酒を見るとどうしても飲みたくなるという、これも一つの癖だ。

 刑事になる者は必ず、その前に警察署の留置場の勤務に就く。いわゆる「牢番」勤務を2年間続けるがその間、常に同房者と情報を交換し合う入所者(犯罪者)に接することになる。新入りに何をして捕まったかを聞き、自分のことを棚に上げて「そんな手口じゃ捕まるだろ」と説教など始める入所者もいる。しかし刑務所でいろいろな知識を仕入れても、再び罪を犯すときは自分の手口を使ってしまう。


―タイの空き巣は電線伝いに屋根から―

 タイも空き巣は多い。これまでさまざまな空き巣の現場を見てきたが、ビル建設現場の周囲1キロ以内で起きやすいといえる。建設現場のわきには、そこで働く職人が住むバラックが建てられる。おそらくそこに住む者たちなのだろう。建設中のビルの高台から物色すべき家を探しているのだろうか。工事が終わると、周辺の空き巣事件も減ってくる。

 タイは民家でも商店でも、建物の入口や窓には頑丈なシャッターやオリが設置されているが、さほど意味を持たない。空き巣の侵入経路の多くは屋根だからだ。犯人は電柱を登り、グチャグチャに絡まった電線を伝って屋根にたどり着く。屋根は造りも素材も粗末なので簡単に壊される。侵入はいたって簡単だ。

 塀がある家なら、屋根を壊さなくても裏口から入ることができる。日本同様、塀のおかげで外から姿が見えないからだ。タイではブラインド・カーテンのような横長の細いガラスを何枚も組み合わせた窓を見かけるが、犯人は裏口から入る際、そのガラスを割らずに1枚1枚ていねいに抜き、わきに積み重ねる。これもひとつの癖だろう。たいていここで指紋が出て、逮捕につながる。

 タイの空き巣は、室内が相当荒らされる。目ぼしいものだけでなく、あるもの全てが持っていかれ、靴まで盗まれる。引き出しはバールでこじ開けられるなど、被害に遭う方は後始末が大変。犯人は窓ガラスはていねいに取り扱うが、引き出しは思いっきり壊していく。これも癖だ。

 また、タイでは住人が帰ってきて鉢合わせとなると侵入者は相手を襲うことが多く、単なる窃盗から強盗、さらには強盗殺人にまで発展する。空き巣と出くわした場合は、自宅でもあってもまずはその場から逃げたり姿を隠したりしなければならない。そして直ちに警察に通報する。


〈戸島国雄〉
 1941年1月1日生まれ。千葉県出身。1963年に警視庁入庁。牢番勤務を経て、本庁刑事部鑑識課へ。現場鑑識写真係として計36年間、殺人、強盗、強姦、火災、飛行機、列車事故など数々の事件事故現場を踏む。

 1975年ごろより似顔絵描きを独学し、鑑識似顔絵として捜査に活用。初の「似顔絵捜査官」として、それまで主流だったモンタージュ写真から似顔絵へと、鑑識技術の流れを変える。1995年にはオウム真理教の捜査を担当している。

 1995年11月、国際協力機構(JICA)の技術協力指導員として鑑識技術を伝えるため、タイ警察の科学捜査部に派遣される。技術協力指導員としては極めて異例ながらも、事件の現場に赴いて自ら鑑識活動を実践、検挙率のアップを促す。

 1998年に帰国して警視庁を定年退職するも、タイ警察の要請を受けて2002年に再び来タイ、JICAシニアボランティアとして活躍。以降も警察大佐(日本の警視に相当)の身分で、日本人絡みを含め、多くの事故・事件の捜査に加わる。
《newsclip》

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