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中国:“歴史は繰り返す”、100年前の上海株狂乱に学ぶ

2015年8月13日(木) 13時00分(タイ時間)
【中国】上海の投資家は昨年11月からの株式急騰に熱狂し、今年6月からの急落でどん底に突き落とされた。

 不幸になって、人々は「なぜあの時…」と過去を振り返りたがるものだが、そうした気分が上海の投資家の間にも広がっているようだ。こうした投資家の心情に応えるように、6日付「南都週刊」は100年前の株式市場の熱狂と絶望を紹介している。

 現在の上海証券取引所は1990年に設立され、その歴史は四半世紀に過ぎないが、株式市場自体は100年前にも存在した。上海の英国租界に設けられた証券取引所だ。当時の中国は皇帝が統治し、上海の人々は大清帝国の臣民だった。

 いまから100年以上も昔の1910年3月も、大清帝国の金融センターである上海では、多くの臣民が株式投資に熱狂していた。その当時の世界では、ゴム産業が急速に発展。この新興産業に膨大な資本が投下され、ゴム会社の設立が相次いだ。急成長が見込まれるゴム会社の株式を人々は競って買い求めた。

 その当時は当然のことながらインターネットはなく、株式を買うには取引所に足を運ぶ必要があった。取引所前に徹夜で行列を作る投資家を見て、何も知らない人々は「あんたら何してんの?」と尋ねるが、帰ってくるのは「ゴム会社の株を買うんだよ」という不思議な言葉。そこで「ゴムって何だ?」と再び問うが、投資家は恥ずかしそうに「俺も知らないよ。でも、みんなが買っているからね…」と答えるだけ。このように多くの投資家は、そもそも「ゴム」と呼ばれるものが何かも知らずに、社会の雰囲気に乗って株式を買っていた。

 その当時の人気銘柄は、ゴム会社の「蘭格志(ランカット)」だった。株式の額面は銀100テール(両)で、現在の2万元に相当。一般庶民には“高嶺の花”だが、百万長者を夢見る人々は、あちこちから借金してまで、株式を買い求めた。熱狂は「銭荘」と呼ばれた貸金業者にも伝染。賢いはずの銭荘までが株式投資を始めたことで、投資熱はさらに拡大。銭荘に資金を貸し付けていた銀行までも投資を始め、やがて政府関係者も加わった。

 「蘭格志」の株価は瞬く間に上昇。額面の100テールから1000テールに達し、1400テールに達したところで、四川省成都の鉄道建設会社も買い手に加わった。株価はついに1650テールに達し、社会全体が沸騰した。

 上海の熱狂に冷水を浴びせたのは、太平洋の彼方にある米国だった。ゴムの一大消費国だった米国は、6月に輸入量を大幅に削減すると発表。この突然のニュースは世界を揺るがし、ロンドン証券取引所ではゴム関連銘柄が全面安となった。これが上海にも波及し、「蘭格志」の株価は100テールを割り込むまでに急落したという。

 海外情報をいち早くキャッチできる外資系銀行は、銭荘への融資を前倒しで回収。銭荘は株式投資で損したうえ、資金も枯渇し、廃業に追い込まれた。多くの投資家が天国から地獄に突き落とされ、自殺者も相次いだうえ、株式とは無関係の人々も巻き込まれた。銭荘の倒産で工場も休業に追い込まれ、大勢の人々が職を失い、社会全体が記録的な不況に陥った。

 影響は上海にとどまらず、「ランカット」に投資していた四川省成都の鉄道会社も資金が枯渇。現地の人々の恨みを買う羽目となった。北京の清朝政府は株価対策に乗り出し、政府の名義で外資系銀行から資金を調達したが、いくら借りても不足分を埋め合わせることはできなかったという。

 以上は100年前の話だが、現在の状況に似通っているところも多い。上海だけではなく、日本や欧米でも、同じようなことが繰り返されている。「人類の歴史はますます教育と破滅との競争と化している」(H.G.ウェルズ)という言葉がある。株式市場についても、人類は破滅と学習を繰り返しているが、その効果はなかなか上がっていないのが現状だ。
《newsclip》


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