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タイ憲法案可決、22年まで軍主導 最大の敗者はタクシン元首相か

2016年8月8日(月) 17時17分(タイ時間)
【タイ】タイ軍事政権が作成した憲法案の賛否を問う国民投票が7日、タイで実施され、賛成多数で可決されることが確実となった。

 新憲法の成立により、2017年に「民政移管」に向けた議会下院総選挙が実施される見通しだ。ただ、総選挙後も、任命制の議会上院、汚職取締委員会などの独立機関、司法を通じ、軍・特権階級が少なくとも2022年まで実権を維持する。

 タイ選挙委員会の非公式の開票速報によると、94%開票時点で、「賛成」約61%、「反対」約39%。投票率は約58%。軍政と対立するタクシン元首相派の地盤である東北部の大部分とタクシン元首相の生まれ故郷であるチェンマイ県など北部の一部では「反対」が「賛成」を上回った。

 投票結果について、タイ国内では「軍政による内政の安定に対する評価」「国民が早期の総選挙を望んだ」「憲法案に関する議論、意見表明が事実上禁止され、内容が理解されなかった」といった様々な分析が出ている。

 憲法案は国会が上院(定数250)と下院(同500)の2院制で、非議員の首相も認める。2大政党制を狙った1997年憲法の選挙制度改革がタクシン元首相の台頭を許したとみて、公選制の下院は大政党が不利となる選挙制度に変更。上院は2017年から5年間、軍政が議員を選任し、軍幹部も議員に含まれる。軍・特権階級は国会の3分の1を自動的に抑えることから、下院で130議席程度を味方につければ、過半数を制する。選挙後、軍主導の政権が発足し、プラユット首相(元陸軍司令官)が続投する可能性もある。

■前首相「民主主義後退、残念」

 憲法案にはタクシン派のプアタイ党、反タクシン派の民主党というタイの2大政党がいずれも反対を表明していた。軍政は反対を抑えこむため、憲法案に関する意見表明を事実上禁止し、違反者に最高で禁錮10年を科す法律を施行。憲法案に批判的なタクシン派の政治家や市民を相次いで「態度矯正」と称して拘束するなど、強硬手段に訴えた。

 タクシン元首相の妹のインラク前首相は国民投票の結果について、インターネットの交流サイト、フェイスブックに「国民の皆さんの判断を受け入れる」が、「憲法案に関する意見表明、議論が禁止された結果」「民主主義に見えるが実際にはそうではない憲法で、国が後退する。残念だ」などと書き込んだ。

 民主党のアピシット党首(元首相)は投票結果を受け入れるとした上で、「軍事政権は今後、(民主化に向けた)政治工程表に従い国を前進させる義務がある」「国家の問題は経済、貧困、負債、汚職、政治対立など多岐にわたる」「政治活動の再開が許可されれば、私と民主党は問題解決に向け前進する」などとフェイスブックにコメントした。

■タクシン元首相、帰国の夢断たれる?

 今回の国民投票の勝者は権力維持を確実にした軍・特権階級、最大の敗者はタクシン元首相といえるだろう。

 タクシン元首相は2006年の軍事クーデターで政権を追われ、国外滞在中の2008年、汚職で懲役2年の判決を受けた。以来、タイに帰国せず、国外からタイの政治に強い影響力を振るってきた。しかし、すでに67歳。反タクシン派が少なくとも今後6年、実権を離さないことがほぼ確実になり、タクシン派の政権復帰、自身への恩赦、帰国というシナリオは崩れ去った。

 タクシン派の今後も不透明だ。

 タクシン派政党と民主党の下院総選挙の得票数は、タクシン政権(2001―2006年)の全盛期だった2005年2月がタクシン派政党1899万票、民主党721万票。2006年のクーデターでタクシン政権を打倒した軍事政権が民政移管のため実施した2007年12月の選挙は、軍が民主党を後押しした結果、タクシン派1234万票、民主党1215万票と僅差になった。タクシン派デモ隊によるバンコク都心部の長期占拠、治安部隊による強制鎮圧という大事件の1年後に行われた2011年7月の選挙はタクシン派1575万票、民主党1144万票だった。

 今回の国民投票では、プアタイ、民主の両党が反対を呼びかけたにも関わらず、「反対」970万票に対し、「賛成」は1550万票に上った。この結果がタクシン派の影響力後退を示しているとすれば、プアタイは2017年の総選挙でも苦戦し、選挙後も続く実質的な軍政下で力のない野党に転落する恐れがある。

■タクシン派vs反タクシン派

 タイでは2006年以降、東北部と北部の住民、バンコクの中低所得者層の支持を集めるタクシン派と、特権階級、南部住民とバンコクの中間層を中心とする反タクシン派の抗争が続き、政治・社会が混乱している。

 反タクシン派はタクシン氏を反王室の腐敗政治家と糾弾し、2006年の軍事クーデターでタクシン政権を打倒した。タクシン派は2007年の民政移管選挙で勝利したものの、2008年に「司法クーデター」と呼ばれた裁判所によるタクシン派与党解党で反タクシン派に政権を奪われた。反タクシン派政権下の2009年、2010年、タクシン派は、特権階級が軍官財界を動かし民主主義や法治をねじまげているとして、政権打倒を目指すデモを行い、2010年のデモでは治安部隊との衝突で、市民、兵士ら91人が死亡、1400人以上が負傷した。

 タクシン派は2011年の下院総選挙で再度勝利し、タクシン元首相の妹のインラク氏が首相に就任した。しかし、2013年10月から、民主党が主導する反タクシン派市民のデモがバンコクなどで拡大。2014年1、2月には数万人がバンコクの主要交差点を長期間占拠した。同年5月、軍が治安回復を理由に戒厳令を発令、クーデターでタクシン派政権を倒し、全権を掌握した。

 軍は当初、両派の和解を目指すとしていたが、タクシン派の官僚、軍・警察幹部のほとんどを左遷し、地方のタクシン派団体を解散に追い込むなど、タクシン派潰しを推進。2015年1月には、軍政が設立した非民選の暫定国会「立法議会」が、「コメ担保融資制度をめぐる職務怠慢」でインラク前首相を弾劾にかけ、前首相の参政権を5年間停止した。

 軍政は当初、2016年に総選挙を実施するとしていたが、2015年に軍政傘下の憲法起草委員会が取りまとめた新憲法案を自ら否決。新たに起草作業に入り、選挙時期を先送りした。

 タイではクーデターなどで度々憲法が廃止され、その度に新しい憲法が制定されてきた。1997年には、選挙で選ばれた憲法議会を通じて作成された新憲法が施行され、初の国民参加型で最も民主的な憲法との評価を受けた。この1997年憲法は、2006年の軍事クーデターで破棄された。軍政下の2007年に制定された新憲法は、議会上院のほぼ半数を非民選とするなど、特権階級の政治介入を制度化し、政党の力を殺ぐ内容となった。この憲法も2014年のクーデターで破棄され、現在は軍部が実質的に全権を握る暫定憲法が施行されている。

■1980年代に回帰?

 憲法案が生み出す新たな統治システムは1980年代のプレム政権(1980―1988年)に似通ったものとなりそうだ。プレム政権は前陸軍司令官で非議員のプレム首相が任命制の上院、特権階級や軍の威光を背景に長期政権を率いた変則的な政治体制で、「半分の民主主義」と呼ばれた。

 プレム氏は首相退任後、プミポン国王から枢密顧問官に任命されるとともに、「ラタブルット(国家功労者)」の称号を受けた。1998年から枢密院議長。タクシン元首相と対立関係にあると報じられ、タクシン派の一部は、プレム氏と枢密院がタクシン政権を追放した2006年のクーデターとインラク政権を倒した2014年のクーデターの黒幕だと非難している。タクシン元首相はプレム氏を「スーパーパワー」と呼んだとされる。

 軍政幹部は新年やプレム氏の誕生日などにバンコクのプレム邸を訪れ、祝賀のあいさつを行っている。最近では4月のタイ正月(水かけ祭り)の際に、プラユット首相、プラウィット副首相兼国防相(元陸軍司令官)ら閣僚、軍・警察幹部が総出でプレム邸を訪ねた。このとき、プラユット首相はプレム氏を、王室に忠誠を尽くし国家のため任務を果たす人々の模範と賞賛。プレム氏も、プラユット首相は全てのタイ人の手本だとほめた。
《newsclip》

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