【タイ】タイのプミポン・アドゥンヤデート国王が5日、82歳の誕生日を迎え、様々な関連行事が行われた。国王は体調を崩し9月から入院中だが、5日は一時退院し、王宮で王族、政府高官、議員らに演説し、国家の安定と繁栄を呼び掛けた。演説後は入院中のシリラート病院に戻った。
国王の演説は例年、誕生日前日に行われ、国家の指針とされてきた。原稿はなく、ユーモアを取り混ぜた語り口や情勢分析が特徴だったが、今回は誕生日当日で、演説は原稿を読みながらで短く、体調に配慮したものとなった。また、タクシン元首相派、反タクシン派の抗争に関する具体的な言及はなかった。国王誕生日の関連式典の多くはワチラーロンコン皇太子が代行した。
プミポン国王は1927年に米国で生まれ、20代半ばまでの大半をヨーロッパで過ごした。即位直後に変死した兄王の後を継ぎ、第2次大戦後の1946年、タイの現王朝の9代目の王に即位。衰微していた王権を軍事政権下で徐々に回復し、現在では国民の大多数に国父として敬愛され、宗教的ともいえる崇敬の対象となった。士官学校や大学の卒業者全員に王族が卒業証書を手渡す式典はプミポン国王が始めたとされ、タイの高学歴者の間でタクシン元首相への反発は極めて強い。タイの各種世論調査によると、タクシン元首相派は低所得、高卒以下が支持基盤だ。
〈プミポン・アドゥンヤデート国王〉
1927年、米国マサチューセッツ州ケンブリッジ生まれ。父は現王朝の中興の祖である5代目、チュラロンコン大王の数多い息子の1人だったマヒドン皇太子、母は中国系の一般女性。
タイの絶対王政を廃した1932年の立憲革命とその後の第2次世界大戦の影響で、1934年から1952年まで主にスイスに滞在し、同国のローザンヌ大学で政治学、法学などを学んだ。
スイスで共に暮らした兄が8代目の王に即位した直後に変死したため、1946年に9代目の王に即位。タイ帰国後は全国で数千の農業プロジェクトを手がけ、遠隔地の視察、低農薬農業や代替燃料の開発などにも取り組んだ。王室の再興にも力を尽くし、王室の儀礼・用語の復活、資金力回復を成し遂げた。
米経済誌フォーブスがまとめた2008年の世界の王族資産番付では、推定資産350億ドルと、産油国の王族を退け、1位に輝いた。タイ外務省はフォーブスに対し、資産内容・額が事実と異なるとして反論している。
「微笑みの国」と呼ばれるタイの国王でありながらほとんど笑顔を見せず、峻厳なイメージがある。一方、社会的弱者の救済に熱心とされ、国民からは「ポー(お父さん)」と呼ばれ、国父として深く敬愛されている。英語の評伝が2冊あるが、いずれもタイでは発禁。
1950年に結婚した王族のシリキット王妃との間に、ワチラロンコン皇太子、ウボンラット王女、シリントン王女、チュラポン王女の1男3女。
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