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就任1年 意外にしたたか? タイの青年宰相

2009/12/29 (03:25)| 主要ニュース  写真ニュース  政治

【タイ】タイのアピシット政権が12月で発足1年を迎えた。2008年12月の反タクシン元首相派によるバンコクの2空港占拠、タクシン派与党の解党・政権崩壊という激動の中で生まれた同政権は、2009年4月のタクシン派暴動を力で抑え込んで政権運営を軌道に乗せ、短命という予想を覆しつつある。

 タクシン派は2001年、2005年の総選挙で圧勝し、約6年、政権を担った。反タクシン派の保守勢力による2006年のクーデターでいったん失脚したものの、民政移管のための2007年末の総選挙で勝利し、政権に復帰。しかし、反タクシン派市民による街頭デモや首相府の占拠、司法判断による首相解任などで追い込まれ、2008年12月、反タクシン派市民がスワンナプーム空港などバンコクの2空港を占拠する中、タイ憲法裁判所により、タクシン派与党が選挙違反で解党され、政権崩壊した。その後、タクシン派を除く連立与党・派閥の幹部と野党・民主党が陸軍本部で密室会談を行い、アピシット政権が誕生した。

 就任当時、アピシット首相は44歳。名門出身、眉目秀麗、英オックスフォード大首席卒というエリートで、タイで現存する最古の政党である民主党が「政界のプリンス」として育てた、まさに「アピシット(タイ語で特権)」という名に相応しい人材だ。しかし、密室談合で首相に就いた上、外にタクシン派、内に同派から寝返った連立パートナーを抱え、経験不足の首相が修羅場を乗り切れるかどうかは疑問視された。

 タクシン派は3月末に全国規模の反政府集会を開くなど反撃に移り、4月上旬にはアピシット首相が乗った車を市民が襲撃、パタヤで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)と日中韓などの首脳会議の会場にデモ隊が乱入し、会議を中止に追い込んだ。さらにバンコクで主要道路を封鎖、バスを焼くなどし、暴動まがいの映像が世界中に流れた。こうした中、首相は意外な図太さをみせ、軍を動員して暴徒を鎮圧。以降、タクシン派が暴力に訴えそうな場合は先手を打って軍を動員し、タクシン派の動きを封じ込めた。

 首相はその後も、警察長官人事をめぐる連立パートナーとの衝突、カンボジアとの外交紛争など、内外で困難に直面したが、動揺を見せずにしぶとく対処し、事態の悪化・拡大を防いだ。経済面では大型の財政出動で景気刺激を図り、第4四半期には景気回復が鮮明となってきた。

 アピシット政権がそれなりの安定感を示しているのは、軍を掌握する反タクシン派保守勢力が、発足から現在に至るまで、「後見人」として政権をバックアップしているためのようだ。2008年のタクシン派政権は反タクシン派市民のデモの鎮圧に軍を動かせず、練度の低い警察に頼って墓穴を掘ったが、アピシット政権は軍の離反や法的なトラブルとは無縁にみえる。選挙に強いタクシン派を相手に急いで解散総選挙に臨む必要はなく、今後は連立パートナーの策動を抑え込みつつ、2年後の任期満了をうかがう展開となりそうだ。

〈アピシット・ウェーチャチーワ〉
 1964年8月、英ニューカッスル生まれ。英イートン校からオックスフォード大学に進み、哲学、政治学、経済学を学んだ。タイ人で2人目という首席で卒業後、同大学で経済学修士号を取得。タイ帰国後、国立タマサート大学講師を経て政界入りした。1992年から下院連続当選。1995―1997年タイ民主党報道官、1997―2001年首相府相、2005年からタイ民主党党首。2008年末の政変で首相に就任した。
 妻でタイ国立チュラロンコン大学数学講師のピムペンさんとの間に1男1女。両親はともに医者で、父親は副保健相、国立マヒドン大学学長を務めた。姉は医師、妹は2006年度東南アジア文学賞を受賞した作家。ウェーチャチーワ家の先祖は18世紀にタイに移民した「袁」姓の客家系中国人。

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