【タイ】不正蓄財容疑で凍結されているタクシン元首相のタイ国内の資産766億バーツ(約2070億円)をめぐる裁判で、タイ最高裁判所は26日、職権を利用して不正に得たものだとして、資産の一部、464億バーツの没収を命じた。タクシン氏は資産の4割を保持したが、今後、脱税で巨額の追徴課税を受ける可能性がある。
最高裁はタクシン氏が起業した携帯電話サービス会社アドバンスド・インフォ・サービス(AIS)や通信衛星会社シンサテライト(現社名タイコム)が同氏の首相在任中(2001―2006年)に事業権料の引き下げ、税制の変更、国営金融機関からの融資などで多大な利益を得たと認定。タクシン氏が首相就任後も名義人を使って持ち株会社シンを含む企業グループを実質的に経営支配したことも認めた。ただ、没収対象は首相就任後に得た資産に限定し、全額没収には至らなかった。
タクシン氏は国外滞在中の2008年8月、首相在任中に妻が国有地を競売で購入したことで禁固2年の実刑判決を受け、以来、タイに帰国していない。帰国できない上、資産が全額没収されれば、支持基盤の維持が困難になり、政権復帰が極めて困難になるとみられていた。タクシン氏は今月22日、ミニブログの「ツイッター」に「タイの裁判所が不公正な判決を下した場合は世界で争う」と書き、資産が没収された場合、国際司法裁判所に訴える考えを示したが、26日の判決前には「判決を受け入れる」と述べた。
タイの司法はタクシン下ろしの動きが本格化した2006年以降、タクシン派が勝利した2006年の総選挙の無効化、2007年と2008年のタクシン派政党解党、2008年のタクシン派サマック首相の解任、タクシン氏へ汚職による有罪判決など、一貫してタクシン派に不利な判決を下して来た。今回の判決については、全額没収はタクシン派の暴動や反タクシン派幹部の暗殺につながりかねないという懸念があり、過激な反発を抑える内容になったと評価する声がある。
タイの政局は2005年以降、ばらまき政策で地方、貧困層の支持を得たタクシン氏と、タクシン氏の権力拡大を危ぐする特権階級・保守派の対立が激化し、選挙で勝ったタクシン派がクーデターや街頭デモ、司法判断で反タクシン派に政権を奪われるというパターンが続いている。タクシン氏は利益誘導、反王室というイメージが広がり支持が尻すぼみとなっているが、一般国民の間では、軍事クーデターなど民主的な手続きを無視する反タクシン派への反感も根強い。2008年にタイ首相府やバンコクの2空港を占拠した反タクシン派団体幹部の訴追がこれまでに8回見送られるなど、司法の「ダブルスタンダード(二重基準)」を指摘する声もある。反タクシン派は現在、政財官軍に張り巡らせた人的ネットワークでタクシン氏を抑え込んだ形だが、国民の支持が永続する保証はなく、10年後、20年後には様々な矛盾が噴き出す恐れがありそうだ。
タクシン派は資産没収裁判の判決を前に、反タクシン派の中心人物とされるプレム枢密院議長(元首相、元陸軍司令官)と議長と関係が深いタイ商業銀行最大手バンコク銀行に的を絞り、1月下旬に両者が関与するとされるタイ東部のゴルフ場、2月19日にはバンコク銀行本店前で抗議集会を行った。また、1月14日にはバンコク都内の陸軍本部、今月13日にはタイ首相府に隣接する大学に、グレネードランチャーで手りゅう弾が撃ち込まれ、建物や車が破損した。14日には最高裁前でプラスチック爆弾がみつかり、警察の爆発物処理班が処理した。タクシン派の動きに対し、ブンルート元タイ陸軍顧問会長(退役陸軍大将)は21日、タクシン氏が「プレム議長より上を狙っている」と述べ、タクシン派の標的が王室であることを示唆していた。
タイ証券取引所(SET)の株価指数は2月半ばの690ポイント台からほぼ一貫して上昇を続け、26日終値は前日比4・27ポイント(0・6%)高の721・37ポイントだった。2009年10―12月の国内総生産(GDP)が前年同月比5・8%増になるなど景気回復が鮮明になった上、政治的混乱が収束しつつあるという見通しが広がり、1月に大きく売り越した外国人投資家が2月1―26日に54・2億バーツ、26日だけで11・7億バーツ買い越した。
〈タクシン・チナワット〉
1949年、タイ北部チェンマイ生まれの客家系華人。中国名は丘達新。警察士官学校を卒業後、米国に国費留学し、刑法学博士号を取得。帰国後、警察に勤務するかたわら、官公庁へのコンピュータ・リース、不動産開発などを手がけ、1987年に警察中佐で退職。その後、携帯電話サービス、通信衛星などを展開するタイ通信最大手シン・グループを育て上げた。 1995年に政界に転じ、1998年にタイラックタイ(タイ人はタイ人を愛する)党を創設。地方、貧困層へのバラマキ政策を掲げ2001年の総選挙で大勝し首相。 2005年2月の総選挙も圧勝、首相に再選されたが、保守派との対立から、2006年9月の軍事クーデターで失脚し、公職追放処分を受けた。2007年末の総選挙でタクシン派が勝利したため、2008年2月に帰国。 8月に出国し、不在中の10月、首相在任中に妻が国有地を競売で購入したことで禁固2年の実刑判決を受けた。その後はタイに帰国せず、主にドバイに滞在している。タクシン派与党は2008年12月に選挙違反で解党され、これに伴い、タクシン派政権からネーウィン元首相府相派と中小連立4党が野党・民主党に寝返り、民主党連立政権が誕生した。
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