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スコータイ王朝 (1238~1448年)の衛星都市として機能した古都。カムペーンペットは「ダイヤの壁=硬い壁」を意味する。アユタヤ王朝(1350~1767年)でも当時のビルマを相手に要衝の役割を果たした。
バンコク近郊ながらも山深い自然に恵まれた県。隣県のナコンラチャシマ、プラーチーンブリー、サラブリーと共に、カオヤイ国立自然公園の一角を成す。ユネスコの世界遺産「ドン・パヤーイェン‐カオ・ヤイ森林群 自然遺産/2005」に指定されている。
タイ東北部のほぼ中心に位置する県。今でこそジャスミン米が県の特産となり、市内には貯水池など水が豊富に蓄えられているが、昔はあまりの不毛さに、(16世紀ごろに)移住してきたラオス人が泣いたという逸話が伝えられる。
北部からの2つの川、ヨム川とナーン川が並行して流れる県。肥沃な大地が広がることから、1,000年以上の昔に農業が始まり、スコータイ、アユッタヤー(アユタヤ)、現ラッタナーコーシンと、いずれの時代も主要都市として栄えた。
隣県のシンブリーやアントン同様、アユタヤ時代に活躍した県。ビルマ軍の攻撃から首都アユタヤを守る要衝で、県名は「勝利の地」を意味する。
タイは中部と南部の境界があいまいで、プラチュアップ・キリカン県を南部とみなす場合があるが、たいていは同県南隣のチュムポン県から下とされる。東西40キロ弱、南北200キロ以上の細長い県。
1993年に隣県ウドーンターニー県から独立した新しい県。200年ほど前に隣国ラオスからの人々が移り住んだのが、現在の町の始まりとされる。
南北に広い県。北は隣県の北部ピッサヌロークや東北部ルーイと共に奥深い山が連なり、南にはスコータイ王朝以前のクメール時代やドヴァラヴァディー時代の遺跡が残る。
タイで3番目に人口が少ない県(1位ラノーン県、2位サムット・ソンクラーム県)。隣県のアーントーンと共に、アユタヤ(アユッタヤー)時代はビルマの攻撃から首都を守る要衝として栄えた。
タイ最南端の県。バンコクからマレーシア国境のスンガイコロクまで1200キロを超える遠さ。
タイ最初の王朝といわれるスコータイより以前、タワーラーワディー(ドヴァラヴァディー)の時代から栄える、バーンパコーン川流域に広がる県。
タイ東北部の左上、ラオスと国境を接する県。山がちで気温も低め、東北部に組み込まれていながらも地理的にも民俗的にも北部に似た特徴を持つ。
隣県シンブリーと共に、アユタヤ時代はビルマの攻撃から首都を守る要衝として栄えた。
タイ最南端の県。イスラム教徒が県民の70%以上を占め、ヒジャブ(スカーフ)で顔を覆う女性をひんぱんに見かけるなど、イスラム色が最も濃い県。マレー語方言のマラユー語が話され、県内の地名も多くがマラユー語を語源とする。
カンボジアとの国境、東部最大の面積を誇る県。1993年、近隣プラチンブリ県のサケーオ郡とワンナームイエン郡が分離独立した。
スコータイ王朝以前の12世紀から王国があったとされる県。13世紀のガムムアン王の治世には、スコータイと同盟を結ぶほどの力を持っていたという。パヤオ市の中心地であるパヤオ湖のほとりには、ガムムアン王の銅像が立つ。
スワンナプーム(黄金の地)空港の名に似た、「黄金の街」という意味の県。
マレー系住民が人口の7~8割を占める、タイ深南部の県。諸説入り乱れるが、早くて13世紀後半、遅くて16世紀初頭にパタニー王国が誕生。海上貿易で栄え、1511年のマラッカ陥落後はマレー半島の東海岸で有数の貿易港になったという。
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